誰かの為に手放すなんてまっぴら




「久しぶり~! 今日はうんと綺麗にしてよね」
 美人のカットなんてそうそうできないだろ!と言えば、聖秀にいたころと同じような生意気な口ぶりで「はいはい、できる限りご要望通りにいたしますよ」と軽く流しやがった。
 仕事のない休日、私は大河の勤める美容院に来ていた。



 これほどゆっくりと話す機会は振り返ってもなかった気がする。最初はお互いの近況報告だったが、私たちの話は自然と聖秀での思い出話へと変わり、尽きることはない。
「そういえば綾音ちゃんとは最近会ってる?」
「まあそこそこ。アイツもここ来てますから」
 鏡と手元を交互に見つめながら、大河は慣れた手つきで髪にはさみを入れていく。
「ねえ知ってる? 綾音ちゃんね、仕事先の知り合いから結婚を前提に付き合わないかって言われたんだって」
 一瞬、大河の動きが止まった。はさみでカットする音が止み、私達の周りだけがしんと音が消える。しかし私が「大河?」と振り向こうとする前に、何事もなかったかのように再び動き始めた。
「フーン。物好きもいるんっすね」
「話聞いてる限りいい物件だったっぽいよ。『返事はすぐにせずゆっくり考えてほしい』って言われたらしいからまだできてないって……聖秀の時はどうだったのよ? 綾音ちゃん、告白とかされてたんじゃないの?」
「さあ。興味なかったんで。大体アイツ昔っから佐藤先輩一筋だったでしょ。告白されても一刀両断してたに決まってますよ」
 その言葉の後には「俺が告白しても」と続くのだろうか。さっきの一瞬の沈黙が意味するものはなんだろう、なんていう疑問を持つほど、私は何もわからない子どもではもうなくなっていた。
 
「でも綾音ちゃんね、今は尊敬する先輩だって話してたよ」
「……へえ」
「前会った時、流れでそんな話になってさ」



「今綾音ちゃんって、彼氏とかいないの?」
「え~? いないいない!いませんよ~!」
「そうなんだ! 意外~」
 あはは……と苦笑いしながらカップに手を伸ばす綾音ちゃん。こんなかわいい後輩を仕留められないなんて周りの男は何をしてるのよ……と眉をひそめたが、私はあることを思い出した。もしかして。

「……佐藤選手?」
「えっ?」
「中学生の時から佐藤選手のこと好きだったって聞いたんだけど、今も好き?」
 綾音ちゃんはびっくりしたように目を見開いたが、すぐに首を横に振った。
「佐藤先輩のことはもちろん好きですけど、それは『尊敬する先輩として』ですよ」
 柔らかな笑みを浮かべ、胸の前で手を振りながら綾音ちゃんは言う。別に嘘をついているようには見えなかった。
「じゃあ好きな人は? それくらいならいるんでしょ?」
「……いますよ」
 カップにまだ残る飲み物に映った自身を見つめながら、綾音ちゃんは言った。
「へえ~! 誰々? 職場の人?」
「いいえ。先輩もよくご存じの人ですよ」
 「でもきっと、『付き合う』とかそんなことはないと思います」と寂しそうに笑って言ってくれた。彼女と同級生の、元キャプテンの名前を。



 私が卒業してから、いろんなことがあったのだろう。周りがとやかく言うのは却ってよくないかもしれない。それでも、私は。


「ねえ大河」
「はい?」
「大河も綾音ちゃんも、もう大人になったんだよ」
「……」

「二人ともさあ、『先輩だから』ってひいき目で見てるんじゃなくて、ほんといい子だよ。アンタも周りから告白の一つや二つされてるでしょ? 綾音ちゃんだってそう。もともとかわいかったけど、あのころと比べて見た目も中身もうんと綺麗になってる。お互いほっとかれるわけないじゃん」
 ――いいの?どこの誰だかわからないやつに取られちゃうのよ?
「これまではなあなあの状態でも会ったり話したりすることができただろうけど、近い将来そうも言ってられないことになる」
 例の告白の話とかね。ちらりと鏡越しに見ると、大河は唇をかみしめて俯いていた。
 やっぱりダメージ負ってんじゃん。相変わらず素直じゃないんだから。
 綾音ちゃんのする返事はわからない。でも、今ならまだ間に合うかもしれない。二人の奥深くにある想いを捨てずに済むかもしれないのだ。

「と言ってもアンタの方が分が悪いんだからね。気合い入れてけよ、清水キャプテン!」
 キャプテンは関係ないっしょ、と相変わらず減らず口をたたくが、その目はかつて『打倒海堂』を目指してプレーしていたあの頃のように真剣なものへと変わっていた。


 そして綾音ちゃんも。ここにはいない彼女に想いを馳せる。大河、いい男なんだから、綾音ちゃんも諦めちゃだめだよ。
 今度会う時は想いが確かにつながりあった、寄り添う二人になっているといいな。