臆病者の握りこぶし

 

 



「佐藤先輩のことは、もちろん今も好きだよ」
 そう告げた彼女の横顔がこれまでに見たことのないほど綺麗だったから、俺はいつも通り小バカにすることも、適当に相槌を打つこともできなかった。あんな顔させるのは、やっぱりあの人しかいないんだ。
 海堂の野球部にマネージャーの制度があったら、高い偏差値だろうが真面目で一途な彼女のことだ、努力して普通科に入学していただろう。そうしたら、彼女はあの人のそばにいられたかもしれないのに。まあそんなことになったら、俺は彼女と一生出会うことなんてなかったけれど。
 こんなに想われてるのに、なんでほったらかしにしてんだよ。こいつのこと、わかってんだろ。
 彼女に告白することも、かといって諦めることもできないでいる中途半端な俺は、プロで活躍する遠いあの人に悪態をつくことでしか心を鎮めようとすることができない。


「でもね」
 
「それは先輩として。大好きだけど、尊敬する先輩として」
「マジで……?」
 つまり、今はあの人のことは何とも想っていないということでいいのだろうか。
 まだ望みはあるのだろうか。


「だから今の私にとって、聖秀野球部が私の恋人なの!」
「は」
 はあ?

「なんでそうなるわけ……?」
「だって、私聖秀が大好きなんだもん!」
 一緒にプレーはできないけど……でも私だってチームメイトなんだからね。この想い、清水くんにも負けてないから。

 だからこれからもよろしくね、清水キャプテン!
 俺を見ながら話すその笑顔が、さっきの横顔と全く同じで。想ってるのは俺じゃないくせにそんな顔で見るんじゃねーよと言ってやりたいのに、向けられることなど叶わないと思っていたから。嬉しくないわけがない。仕方ねーだろ。


「はあ~~」
「な、なによ」
 全く、人の気も知らないで勝手を言ってくれる。
 あの人が敵じゃないとわかった途端浮足立ってしまう情けない俺に鉄槌を下したのか、ある意味もっと強大な刺客が現れてしまった。
 俺はそのキャプテンなのに。倒すどころか守らなきゃいけないキャプテンなのに!

 でもどうしたって今の俺じゃ絶対に叶わない。
 じゃあ俺もそれに乗っかるまでだ。

「あのさ、きょうび守られるだけが取り柄の女なんて男はつまんないから。聖秀がぺしゃんこにならねーように、マネージャーも一緒に守ってよ」
 
 

 しょうがない。引退するその時まで、アンタの恋人を守るナイト役を引き受けてやる。
 でも最後の夏が終わったら、覚悟しろよ。