「大丈夫だよ」
鬱々とした思考の渦から引っ張り上げたのは、何の脈略もないマネージャーの言葉だった。
一寸の曇りも迷いもなく放たれたそれに、かっと頬が熱くなってじりじりとした炎が胸に灯る。
なんでそんなことわかるんだよ。無責任なこと言うなよな。文句の一つでも言ってやりたくなって顔を向けた瞬間、喉から出かかった言葉はたちまち消えてしまった。
目の前の彼女があまりにも強い視線で、それでいて強張ったからだを包み込むように柔らかく微笑むものだから。
「これでいいんだ」と「間違っちゃいないんだ」と背中を押してくれたから。
「だから元気出して、清水キャプテン」
「……はあ~~」
ったく。敵わねえよな。
「な、なに」
「別に。ってか、元々元気だし。大体マネージャーに慰められるほど落ちぶれちゃいねーよ」
何よそれ、といつものお小言を背中で聞きながら視界の端で声の主の姿を捉える。
「マネージャー」
「何?」
「……サンキュ」
「……うん!」
小さく小さく呟いた言葉は、けれども確かに届いたようで。先程と変わらない笑顔にふっと息を吐き、今度こそ前を向く。
広がった熱は消えることなく、冷えた胸を温め続けた。
それが、2年の秋の話。 瞬く間に時は過ぎ去り、俺達にとっての最後の夏がとうとう明日に差し迫っていた。
「大丈夫だよ」
「――うん。知ってる」
明日持っていく物の最終チェックを二人で行いながら掛けられた、あの日と同じ言葉。違うのは、唐突に発せられたその言葉に俺が返したことだ。
まさか間髪挟まずに返されるとは思ってなかったのだろう、一瞬虚をつかれたように目を見開いていたものの、やがて熱が広がるようにゆっくりと笑みを浮かべた。
「そうだね、知ってるよね」
「マネージャーだって知ってんだろ」
「うん。知ってる」
何が、どう『大丈夫』なのか。何を『知ってる』のか。
主語も修飾語もない会話だけど、その言葉の意味を明確にする必要はなかった。
自分自身に言い聞かせるでも、相手に諭すでもなく、当然の事実としてそれはお互いの中にあったのだから。
どちらからともなくクスクスと笑いながら「知ってる知ってる」と言い合う様子は、端から見るとかなり異様な光景のはずだ。だけど、そんなことはどうでもいい。
これまでの俺達のやってきたことは何一つ無駄じゃない。喜びも、焦りや不安も、チームメイトとのいざこざも、その度に心を通わせたことも、全部。「このチームだったから、これまでの日々があったから、ここまでたどり着くことができたんだ」という、確固たる自信を築くことができた。
そしてそれは誰かの――先輩方のためでもない、明日から始まる俺達自身の夢へと繋がっている。
先代から続く『打倒海堂』を、今度こそ成し遂げる。その想いを抱いたまま、俺達は夏を駆け抜けることができる。
俺達なら大丈夫。
それでも、これは知らないだろ。アンタにとっては何でもない些細な言葉でも、俺にとってはどれほどの支えになってるかなんて。
その言葉から、表情から、存在から、昔も今もたくさんの力をもらっていることなんて。
でもそんなこと、絶対に言ってやんない。少なくとも最後の夏が始まろうとしている今は。
……『打倒海堂』を成し遂げてからなら、伝えてもいいかな。
無自覚インフルエンサー
(キャプテンとマネージャー)