求むはきみだけ




 それにしてもよく晴れた日だ。外の眩しさに顔をしかめながらベランダに干していた洗濯物を取り込み、サンダルを脱いで窓を閉める。つい先ほどまで陽の光にさらされていたためか、服越しにじんわりとぬくもりが伝わってくるのが分かる。薄手のレースカーテンから透けて降り注ぐ暖かく柔らかな日差しを受けながら、俺は洗濯物を片付け始めた。


 ちらりと掛け時計を見て、時間を確認する。あいつは今日、何時ごろ帰ってくるだろう。
 「今度の休み綾音ちゃん借りてくから!」と先日いきなり電話をしてきたかと思うと、姉貴は今朝早々に人の彼女を連れ出していった。ちなみに昼過ぎになった今も連絡一つ寄越す気配はない。そしてその彼女からの連絡もまた、同様に入ってきてはいなかった。
 大方いつものごとく彼氏からの連絡がないことに業を煮やして、女同士飯でも食いながら寂しさと惚気を存分に語っているのだろう。遠距離恋愛だというのにメールはおろか電話でのやり取りもほとんどない(姉貴の話では電源すら入っていないこともザラらしい)ためテレビやインターネットでしか彼氏の近況を知ることができない姉貴に、さすがの俺も同情を禁じ得ない。先輩も電話の一本や二本入れればいいのに。まあそんなマメな人ではないことは昔から重々分かってはいるけれど。
 今頃姉貴と楽しくやっているのだろうか。なんとなく面白くない気持ちを抱えつつ、留守番を任された俺は家事に勤しんでいた。


 ハンガーや洗濯ばさみからここ数日分の洗濯物を全て外し終わり、そのまま手を止めることなく衣類の山を減らしていく。
 ひとまず共同で使うタオルや自分の服を畳み終え、少し休憩ということで俺は洗濯物を広げたカーペットの上にごろんと横になった。全部の洗濯物を畳み終わっている訳ではない。しかし穏やかな昼下がり、仕事も休みで一人気ままに過ごしつつも家事は怠っていないのだから、多少ダラダラしても許されるはずだ。後ですぐにでも全部畳んでしまうさ。
 大きなあくびを一つこぼしながら、寝転がった状態で何とはなしにまだ畳み終えていない彼女の服を手に取った。パステルカラーの、どちらかといえばシンプルなデザインのものを彼女は好んで着ることが多く、こんな感じの服をあと2、3着持っていたなあとぼんやり思い返した。
 洗濯直後のためか、服からは彼女のみが放つ特有の甘い香りはほとんどしない。それに対し残念に思ってしまった自分が恥ずかしく、ぶんぶんと首を横に振った。しかし手放すのは惜しく感じられて、服をそっと体に引き寄せる。
 あいつ、早く帰ってこねえかな。


 気がつくとレースカーテンの上から厚手の遮光カーテンが引かれていた。暖かな日差しが消えた代わりに、人工的な灯りが部屋全体を照らしている。時計を見るとすっかりと夜を向かえており、普段通りならば夕食を撮っていてもおかしくはない時間となっていた。
 畳まずに放置していた服はきれいさっぱり片付けられている。その代わり、昼にはなかったはずの毛布が全身にかけられていた。そこでようやく、彼女が帰ってきているのだということを理解した。
「あ、起きたんだ。おはよう」
 といってももう夜だけどね、と台所に立っていた彼女がパタパタと近づいてきた。
「おかえり。飯は? てっきり姉貴と食ってくるんだと思ってたけど」
「今から作るところ。夕方でお開きしたの、お姉さんもお疲れみたいだったから」
「フーン。つか悪ィ、洗濯物途中までしか畳んでなかったろ」
「あと私の分だけだったからすぐ終わったよ。お家のことありがとね」
「どういたしまして」


 彼女はカーペットに膝をついて座り、あぐらをかく俺の肩にこつんと頭を寄せた。
「ねえ」
「ん?」
「私がいなくて寂しかった?」
「……なんで」
「だって大河くん、私のお洋服抱きしめて寝てるんだもん」
 せっかく洗濯したのにしわくちゃになってたよ。あれ、お気に入りだったんだけど。少し怒ったようにして彼女は唇を尖らせる。
 そういえばよく着てるもんな、あの服。寝ていて気付かなかったとはいえ気に入っているものをぞんざいに扱ってしまったことを申し訳なく思う。
「ごめん」
「いいよ、全然。アイロンがけすればしわなんて直るんだし」
 それに、あんなしわになるくらいお洋服をぎゅってしながら寝られたら怒るに怒れなくなっちゃた。頭を起こしてにこにこと微笑む彼女にすべてを見透かされているようで、俺は明後日の方向を向くしかなかった。


「寂しくさせてごめんね」
「自惚れすぎだっつーの」
 気恥ずかしさを隠すように俺は綾音の腕をつかんだ。そのまま彼女を足の上に乗せるようにして胸元へ引き寄せる。腕の中に閉じ込められた彼女は「わっ」と驚いたかのように声を上げたが、やがてくすくすと笑いながら腕を背中に回した。その様子が「素直じゃないなあ」と言っているようで、今度は俺が唇を尖らせた。素直じゃなくて悪かったな。言おうが言うまいが分かってんなら別にいいだろ。
 彼女を抱きしめながら、俺は首元に顔をうずめた。深呼吸などしなくとも、彼女の香りが鼻腔いっぱいに広がっていく。陽の光で暖められたぬくもりよりも冷めることのない確かな温かさが、全身の力を緩めていくのを感じる。
 やっぱりこっちの方がいい。そう思いながらゆっくりと目を閉じた。