曲がって曲がって真っ直ぐに
連日ニュースや新聞で取り上げられ、二人の話を聞かない日はない。大河はそれらを見ながら自身の顔が歪んでいくのがわかった。同じようなことを流す報道や憶測の域を出ないコメントばかりを吐くコメンテーターに、「くそっ」と悪態をつく。
ごちゃごちゃうるせーな。お前らがあの二人の何を知ってるんだよ。ネタ欲しさに人の関係にズケズケ土足で入り込みやがって。
ギリリと奥歯を噛み締め、リモコンでテレビの電源を荒々しく消した。
マネージャーは大丈夫だろうか。
騒動の渦中にいる一人であり、共に同じ夢を追い続けた高校時代から今もなお気の置けない人物である綾音のことを思う。
もう一方の片割れ――寿也からの動きはいまだ見られないが、ひょっとしたら水面下でこの事態を収めようと懸命に対応しているのかもしれない。だとすれば余計なことはせず、彼らからの連絡を待つことが二人を知る自分のできることだと大河は思っていた。大丈夫。佐藤さんとマネージャーのことだ、なんとかやり過ごせるだろう。二人を信じて待っておこうと、心に巣くう不安から悪い方向へと考えてしまうのを無理やり切り替えて仕事へ向かった。
しかし数日後、そのように考えて何も行動を起こさなかったことを彼は激しく後悔することになる。
仕事を終えてアパートに帰る途中、報道から音沙汰のなかった綾音からの着信が入った。状況がやっと変わったのだろうか。はやる気持ちを抑え、電話に応じる。
「もしもし? マネージャー?」
『……あ……清水くん……?』
普段の彼女とはかけ離れた、電話越しでもわかるその憔悴しきった声に大河は息を飲んだ。何が「大丈夫」だ。全然大丈夫じゃねえじゃんか!
「おい! 今どこにいんの!?」
大河は言葉に詰まりながらか細い声で告げた彼女のいる場所をなんとか聞き出し、近くに着くまでじっとしておくように言いつけて電話を切った。バクバクと胸を打つ心臓を落ち着かせようと深く息を吸い込むものの、効果は全く見られない。
俺がこんなんでどうすんだ。両手で頬を軽く叩きながら自宅へと続く道を引き返し、彼女のいる場所へと向かうため駅へと走り出した。
途中でタクシーを拾って自宅の場所を運転手に言うと、それきり二人は話すことなく車に揺られた。
綾音は腫れた目を隠すように下を向き、太腿に置く拳を小さく震わせている。思うより先に、大河はその手を包み込むようにして手を重ねた。長時間外気に晒されたことだけが原因ではない冷たさが彼をひどく不安にさせる。彼女自身をもそれに飲み込まれてしまうかのようで、恐ろしい。
こうすることで事態が好転することも彼女の震えを止めることも何一つとしてできないことは分かりきっていた。「大丈夫だ」と何を根拠にそう言えるのかも分かりはしないが、それでもこうすることで冷たさが少しでも和らげばいいと切に願う。
彼女は何も言わずに手を握り返し、唇を噛みしめながら静かに涙を流した。
「私なんかがメジャーリーガーの妻になれるのかな」
自宅に戻り一息ついた頃、そう呟いた綾音に大河はいつかの薫の姿を重ねた。
ショートカットの金髪美人――ソフィアが家に来た時の戸惑いの表情を皮切りに、吾郎から正式なプロポーズを受けて球団へと挨拶に行くことが決まった時、「メジャーリーガーの熱愛発覚」とマスコミからかぎつけられながら仕事から帰ってきた時に「本田のことは本当に好きだし信じてるけど、ふとした時にやっぱりちょっと怖くなっちゃうことがあるんだよね」と不安と疲弊から泣きそうになるのをこらえて笑う姉の姿を思い出して、大河はふう、とため息をつく。
マリッジブルーにはちょっと早すぎんじゃねーの、と軽口を言いつつ話を聞いたこともあったっけ。
「んなこと言われた訳?」
「それに近しいことなら……」
情けないよね、私。覚悟が足りてないってことなのかな。赤い目で絞り出すようにして言葉を発する綾音に、何もできない口惜しさを感じながら大河は違う方向から質問を切り出した。
「結婚の話とかは二人でしてんの?」
「うん。今度、先輩のお宅にご挨拶に伺う予定だよ。報道の時の写真はその時の打ち合わせをしてたの」
本当にタイミングが悪かったのだろう。相手があの「佐藤寿也」である以上、遅かれ早かれこのように報道される事態になっていただろうことは否定できないが、あともう少し遅ければこのように彼女を追い詰めることにはならなかったのかもしれない。
「姉貴の時もさ、ここまでじゃなかったけど報道されたことあったじゃん」
「うん、覚えてる」
「今のマネージャーとおんなじ感じだったよ」
「そうなの……?」
お姉さんも一緒だったんだ……とほんのわずかに表情を和らげる彼女に、大河はふと考えを巡らせる。第三者であった俺だけじゃ限界がある。なら、当事者であった姉貴なら?
悪だくみをするかのようににんまりと笑う大河へ綾音が「どうしたの」と声をかけるよりも早く、彼は携帯電話を取り出した。
「ま、ここは当事者に聞く方が手っ取り早いっしょ」
「……え?」
大きく目を見開く綾音を尻目に、彼は止まることを知らない。
「もしもし? 姉貴?」
『大丈夫よ。確かにメディアで大きく取り上げられて怖い思いをするかもしれないけど、貴方が愛して貴方を愛してくれる寿くんを信じてあげて。もし辛かったら我慢なんてしないで遠慮なく言ってね。大河も私も、力になるよ』
報道を受けて薫も思うところがあったようで、夫の親友である寿也と弟の友人である綾音のことはずっと気にかけていたようだ。薫の言葉を受けて大粒の涙を流す綾音に、「やっぱ当事者は違うな」と大河は顔をほころばせた。
途中から綾音自身の携帯電話で折り返しの電話を行い、二人の話が軌道に乗ってきたところで「なんか食いもん買ってくる」と家を出た大河は、先程まで彼女が使っていた自身の携帯電話をおもむろに取り出して電話帳から目的の人物の名前を探し出した。そのまま通話ボタンに触れ、携帯電話を耳に押し当てる。
その後、 数回のコールを経て切羽詰まったように「もしもしっ」という声が大河の耳朶に響いた。メディアに対して物腰柔らかく常に落ち着いた受け答えをする普段の彼とはかけ離れたその声に、大河は声を出すことなくくすりと笑う。
――そうだ、この人もマネージャーを好きな一人の男なんだよな。
「ご無沙汰してます。突然すみません、そっちも相当ヤバいことになってると思うんすけど、お宅の彼女預かってるんで。時間作って引き取りにきてもらってもいいですか、佐藤さん」
【余談】
夜も更けて久しい頃、彼は現れた。
「綾音ちゃん……!」
「先輩!?」
うそ、と呆然とする綾音に対してしれっと「俺が呼んだ」と大河は話すが、彼女の耳には届いていない。玄関で靴を脱ぎ終わりリビングへと向かう寿也と玄関へ足を踏み出す綾音が互いに腕を伸ばして抱き合うタイミングと、大河が二人の元へ追い付くタイミングはほぼ同時だった。
「遅くなって本当にごめん! 肝心な時に君の側にいられなくて」
「いいえ! いいんです、大丈夫だったから。それに清水くんが助けてくれたから」
「そう思うんならさ」
コホンと咳払いをして二人を見やる。
「乳繰り合うなら余所でやってもらっていいすか。しがない独身野郎なんで、生憎部屋は一つしかないんですよね」
あんたらのリア充っぷりを見させられるなんて勘弁してほしいんだけど、と続ければ途端に離れる二人。その顔は互いに赤く染められており、「こいつらも姉貴達とまんま一緒だよな」と大河は噴き出した。