受け継がれた居場所

 

 

 

 久しぶりに足を踏み入れたグラウンドは、しかし元来のコンクリートへと様変わりしていた。
 耐震工事の関係で数年前に撤去してしまったんですよ、と現在は他校にて勤務をしている元顧問の先生から事前に知らされていたものの、いざ目の前にするとやはり衝撃は大きい。
 引退、卒業した遠いあの日、「俺達の居場所」と別れを告げたはずなのに。


「先輩方、こんな何もない場所に土を運んできたんだね」
 すごいね。静かに、けれども確かな感動を携えてそう話すものだから、思わず目を見開いて彼女を見た。
「……ショックじゃねえの?」
「そりゃあ、びっくりだけど。やっぱりちょっとだけ寂しいけど」
 だけど、私達では知り得なかった始まりの場所が目の前にあるんだよ。
 聖秀野球部の始まりの場所に立ってるんだよ。
「できることなら『初代聖秀野球部グラウンド』として記念碑でも建てたいくらいだよ」

 僅かに興奮の色を湛えながらそう言う彼女は、遠い過去肩を並べていた姿そのものだった。昔と今、同じものなど何一つないはずなのに。


 傍らの彼女をまじまじと見つめた後、ぷっと吹き出した。
「記念碑って……さすがにそんな大層なもん置くほどの価値はないだろ」
「そんなことないよ! 茂野先輩達の功績はやっぱりすごいもん。野球部のない学校へ転校して一から作り上げて、それに山田先生も仰ってたじゃない。先輩達や私達が卒業した後も、順調に部が大きくなったって。成績だって――」

 


 あの頃、聖秀野球部の一員としての日々。

 何度も「辞めてやる」と思った。
 自分の実力を過信しすぎて、舐めた態度をとったこともあった。そのくせ壁にぶつかると最初から「無理だ」と決めつけて立ち向かわないこともあった。
 大した闘志も責任感もないまま、マウンドへと上がったこともある
 ただの部員であったときだけでなく、キャプテンになったときでさえも部活に顔を出さない日もあった。

 数え切れないほどぶつかり合って、傷つけ合って。けれどそれでも最後には心を通わせ合った日々。
 重圧に押し潰されそうになりながらも、みんなと支え合いながら一つになった関係。
 「打倒海堂」を目指し、悔しさも高揚感も共有して駆け抜けた夢

 振り返ると恥ずかしかったり、悔しかったり、苦いものが込み上げたりする思い出もあるけれど、それと同じくらい嬉しかったことも、楽しかったこともたくさん溢れてくる。

 そのどれか一つでも欠けていたら、きっと今、ここには立っていない。


 やっぱ、思ってしまうんだよな。「聖秀野球部に入ってよかった」「キャプテンになってよかった」って。
 まさか引退も卒業もして社会人になった後そのように考えているだなんて、高校時代の俺は予想だにしないだろうけれど。

 過ごした日々も、築いた関係も、確かにここにあったのだ。
 そしてもう二度と経験することはなくても、互いに交わることなく別の道を歩んでも、それらは俺達の糧となっている。



 カーンという打撃音や野球部員の掛け声が、以前は他の部活動が陣取っていたグラウンドから聞こえてきた。「俺達が過ごした聖秀野球部の居場所」はもうない。けれど、「聖秀野球部」そのものが消えたわけではない。
 茂野吾郎から始まった「聖秀野球部」はここから始まった。そして清水大河率いる聖秀野球部を経て、今もなお名前も知らぬ後輩たちへと途切れることなく続いている。繋がっている。
 それだけで十分だ。