キャプテンという呼び名





 この春、私たちは最後の夏を迎える学年へ進級した。普段はそれぞれの友人たちと行動しつつも放課後になると誰からともなく声をかけ合い、こぞって部室に向かう。

「マネージャー、今日からの部活のことなんだけど……」
 放課後、部活の準備をしようと席を立った私に、服部くんはいつもと比べて神妙な表情でそう切り出した。後輩たちのことで何かあったのかな、と私は気を引き締める。

 全体の取りまとめと技術的な指導を担う清水くんは、キャプテンという立場上憎まれ役になってしまうことが多い。それに加えて彼は口が悪く、その気がなくともちょっとした言い方で誤解を生んでしまうこともあった。
 服部くんはそんな清水くんと後輩たちのパイプ役となり、後輩たちが不平不満をぶつけて清水くんと口論になる前に清水くんがどのような意図で指示したのかをフォローしたり、逆に後輩たちの意見を聞いて清水くんにかみ砕きながら伝えたりすることが常だった。途中で端折らずに話を聞き、誰に対しても冷静に応じて意見をまとめてくれる彼は、個性が強すぎて時に軋轢を生む聖秀野球部にとっていつしかなくてはならない存在となった。今や私たち三人の中で特に後輩から慕われているのは服部くんである。
 そんなわけで、いつだったか部活終了後三人で帰っている途中に「服部がキャプテンしたほうがよかったんじゃねーの」と面白くなさそうに清水くんがつぶやいたこともあった。聖秀野球部においてなんだかんだと一番信頼されているのは清水くんなのに、彼はそれを知らない。どことなく拗ねている様がおかしくて、服部くんと私は清水くんに睨まれながらくすくす笑ったものだ。

「数日後には新入部員も入ってくるだろ、その前に部の団結を促すのも大事だと思う。その手始めとして、俺たちが大河のこと『キャプテン』って呼んで部の雰囲気を締めておいたほうがいいと思うんだ」
 先輩たちも卒業したし俺たち二人がしっかり固めて大河が動きやすいようにしておきたい、と真剣に話す服部くんに、顧問の山田先生に呼ばれているからとすでに移動してこの場にいないキャプテンを思い浮かべながら、私は二つ返事で応じた。

 そうだね、頼りがいのあった先輩たちはみな卒業されて、とうとう私たちが最高学年なんだよね。たった三人だけど私たちはチームだもの。キャプテンだけじゃなくて、私たちも一緒にチームを引っ張っていかなくちゃ。




 なんなんだ、こいつら。

 ついこの間まで「大河」「清水くん」と呼んでいた同級生の二人は、後輩しか呼ばないはずの「キャプテン」というちっとも慣れない呼び方で俺に話しかけてくるようになった。
 正直、居心地が悪い。
 服部もマネージャーも部活以外で関わると特に変わった様子は見られないが、部活が始まった途端にいつもの穏やかさが薄れてピリッとした雰囲気に様変わりする。最初こそ「服部先輩と鈴木マネージャーもキャプテンって呼ぶことにしたんすか」とにやにやしながらいじってきた渋谷たちも、二人の発する雰囲気にのまれたのかこれまで以上に気合を入れて練習に取り組むようになった。
 部全体の雰囲気が変わり、一人ひとりが真剣になるのはいい。いいのだが。
 ――俺が集中できねえ……
 そんな俺の様子を知ってか知らずか(多分服部は気づいている)、おかまいなしに「キャプテン」と呼ぶ二人。本当は今すぐにでも前の呼び方に戻してもらいたいものだが、たかだか「キャプテン」という呼び方が気になるからやめろと言うのも癪だ。それに、二人が「キャプテン」と呼び始めてから部の雰囲気が変わったからこそ、部員それぞれがいい緊張感の中で練習できている状態を崩すわけにはいかないというのもわかっている。二人の気遣いに感謝こそすれ、イライラするのはお門違いというものだ。
「……俺が慣れるしかねえのか」
 夏が終わったらぜってえ元の呼び方に戻させる。それまでの辛抱だ。
 盛大につきそうになるため息を飲み込み、雰囲気が変わった部員たちに染まるように俺も気合を入れなおした。


 入学式まで、あと二日。
 俺たちの最後の夏が始まる。





【おまけ:引退後のはなし】
※大綾風味


「もうキャプテンじゃなくなるんだな。お疲れ、大河」
 引退試合となったその日のうちに、俺は「キャプテン」から3月末までと同様の「大河」に呼び方を戻した。大河は不意をつかれたように一瞬だけ泣きはらした赤い目を大きく開いて、その後すぐに「やっとだよ」と笑った。茂野先輩たちが引退してから2年以上務めていたキャプテンの座を退くことに対する「やっと」なのか、はたまた「キャプテン」と呼ばれることを嫌がっていたからこそ「やっと」名前を呼んでくれたことへの皮肉なのか、あるいはそのどちらもかもしれない。
 俺はもうあいつを名前で呼んでいる。だが、鈴木は引退した今も「キャプテン」と呼び続けていた。

 引退試合後初めて2、3年で顔を合わせたある日の昼休み、ミーティングと称して今後の活動内容の打ち合わせや仕事内容の引き継ぎを行った。次のキャプテンはこれから決めるとのことだったが、受け答えをする様子を見ていると渋谷でほぼ決定しているようだ。
「キャプテン」
 ミーティングが終わり、各々が教室を後にしようとしたところで鈴木が大河を呼び止めた。手には今年度に入ってからのスコアブックが握られている。
「これまでの記録に関してなんだけど―

「あのさ」
 鈴木の話を強引に遮って大河は鈴木の方を向いた。引き継ぎまでは平然としていたのに一変して不機嫌な表情を浮かべている。
「その『キャプテン』ってのそろそろやめてくんない? 俺もう引退したんだけど」
 鈴木はそんな大河をものともせず、間髪入れずに返事をする。
「それはそうだけど、清水キャプテンだって私のこと『マネージャー』って呼ぶじゃない。私だって引退したんだけど」
「マネージャーはマネージャーっしょ」
「じゃあ清水キャプテンだってそうでしょ」
 あーこりゃ長くなるぞ……記録の話はとりあえず流れる運命にありそうだ。この二人に挟まれて二年半以上、こうなったらけんかになることはよくわかっている。脳内では赤信号が点滅しっぱなしだ。俺は教室の扉の前で立ち止まる二人から火の粉をかけられないよう、かわいい後輩たちをもう一方の扉から退散させた。
「服部先輩」
 さてどうやって収拾をつけようかと考えを巡らせていたところで、渋谷が軽く呆れながら話しかけてきた。
「キャプテン、まだ言ってなかったんすか。『名前で呼んでくれ』って」
「大河も素直じゃないからなあ」
「まあ鈴木マネージャーもその辺鈍いっすもんね」
 距離にして2メートルと離れていないが、二人と俺たちとの間は風邪を引きそうなほど温度差が激しい。昼休みもそろそろ終わると気づいているのかいないのか、二人の口論は終わりそうにない。はあ、とため息をつき、俺は二人のもとへ重い足を動かし始めた。

 なかなかどうして「キャプテン」と「マネージャー」という立場が絡むと、こいつらはこうも意固地になるんだろうな。
 こりゃ当分引退できそうにないな……二人の立場も、俺の役割も。






【あとがき】

 キャプテンである大河、マネージャーの綾音ちゃんを除いて唯一の普通の部員である同級生の服部くんは、彼らが取りこぼしてしまうこと(特に人間関係)に気づいていろいろと気を回すんだろうなあというイメージが湧いてこの話が浮かびました。勝手な妄想です(笑)
 キャプテンとマネージャーがけんかを始めたら仲裁するのは彼しかいません。
 真の苦労人は服部くんだと信じて疑わない。

 綾音ちゃんが引退後も大河のことを「清水くん」と呼ばないのは、渋谷くんが正式にキャプテンに任命されるまでは「キャプテン」としての大河の存在がまだ必要であると考えているからです。決して嫌がらせではないです(多分綾音ちゃんは大河がずっと「キャプテン」と呼ばれることを嫌がっていたこともわかってないと思う)。
 ちなみに大河が引退してもなお綾音ちゃんを「マネージャー」と呼ぶのは単に照れくさいからです。彼女以外にマネージャー(特に後輩の)がいたらまた違ったのでしょうが…なんだかんだ卒業後も「マネージャー」って呼ぶんだろうな…
 4th16話を見る限り、大河も綾音ちゃんもチームメイト兼友達以上恋人未満という微妙な関係を3年生になってもずっと続けているだろうと思っていますが、キャプテンとマネージャーという立場上部の雰囲気を乱すわけにはいかないとか、この信頼関係が居心地よくて崩したくないとか、という自分たちにとって大切でかけがえがないものだと役職を捉える一方、免罪符かつ呪いのようにも思ってたらおいしいです。もしこの二人の関係が変わるとしたら、卒業してからというイメージがあります。