エール

 

 

 

 

「いってきます!」
 溌剌とした声色に僅かな緊張を滲ませながら玄関のドアを開け、からりと澄みきった空の下へ娘は飛び出していった。
 時が経つのは早いもので、部活を引退してから約半年。毎日脱衣所に出されていた練習着やタオルも、今は息子のものだけだ。土日も部活や試合があるからと、あの子のためにスタミナ弁当も用意する必要もない。机の上に置かれていたソフトボールに関する書籍は本棚に仕舞われ、代わりに教科書や参考書が広げられるようになった。そうして、あっという間にこの日がやってきた。


 野球、そしてソフトボールと、これまで続けてきたあの子の時間。それが部活を引退してからそのまま受験勉強へ費やされることとなり、文字通り勉強漬けの生活となった。

 振り返ってみると、あの子に対して「勉強しなさい」「偏差値大丈夫なの?」などと口にすることはこれまで特になかったように思うなぜならその必要はなかったから。受験を決めた大学も、志望理由も、合格に見合った学力も。私達がとやかく言うようなことは一切ない。
 あの子から不安の言葉などを耳にしたことはあまりなかったけれど、当然あの子なりに悩んだこともあったはず。それでも、私はここに行きたい。だから実現させるために努力し結果を出すのだと。そうやって、自分の力だけで目に見える形で証明し続けてきた。全てはあの子自身が目指すものを掴みとるために。

 必要以上に突っ込んだことを尋ねたことはなかったとはいえ、全くの無関心というわけでは決してない。そしてそれは、何も私だけではなかった。
「そういや姉貴、今日だっけ」
「ああ」
 リビングへ戻ると、テレビを見つつパンを齧る息子と新聞を広げながらコーヒーを飲む夫が、目線を合わせることなく会話を繰り広げていた。
 記入ズレとか、バカみたいなポカしないといいけど。ここまできたら成るようにしかならんだろう。
 いつものように少し皮肉ったような、突き放したような物言い。けれど私は知っている。息子も夫も気にしていない風を装いつつも、朝からずっとそわそわ、そわそわ。口にはしないけれど、二人なりにあの子を気遣っていたのよね。
 決定的な言葉を、面と向かっては勿論、当事者のいないこの場ですらも言うことはない。それがあまりに二人らしくて、思わず緩んだ口元を見られないよう背を向けて食器を洗い始めた。

 


 あなたがこれまでひたむきに培ってきた努力が、想いが報われますように。悔いなく実力を発揮することができますように。もしそれが出来ても、たとえ出来なかったとしても、私達みんな変わらずここであなたの帰りを待ってるからね。
 だから、いってらっしゃい。薫。