たった一言が



 いつかと同じような暖かな夕焼けが教室全体を照らしている。にもかかわらず、私の胸はひんやりと冷たくそして重いまままだ。
 スコアブックを広げてこれまでの対戦記録の最終チェックをしようとするも、今日犯したミスばかりが頭に浮かんでしまい集中することができない。私はとうとう両手で顔を覆った。
 最悪だ。これ以上悪いものなどない。
 バッティング練習として使用していたボールが私の不注意ですべて片付けておらず、転がったままの状態で守備練習のための準備を始めようとしたことが失敗だった。部員が怪我をしてしまってもおかしくない事態だ。今回軽くつまずいただけで済んだのは奇跡だっただろう。

 一体何年マネージャーやってるの、私。
 友ノ浦中一年の夏から始めたマネージャー業は、中学3年生の最後の大会後引退してから高校入試、卒業の期間を抜いてもかれこれ4年以上務めているというのに、最近は初歩的なミスばかり。たるんでいるといわれても返す言葉などない。
 私がみんなの足を引っ張ってどうするのよ。


 ガラッ、と教室の扉を勢いよく開ける音がして、私は慌てて両手を放す。扉から入ってきたのは、我らが聖秀野球部キャプテンの清水くんだった。
「あれ、まだいたの」
「あ……」
 肩に下げた重そうなボストンバッグを軽々と机に置きながら、清水くんは私の机を覗き込んだ。
「何してんの……ああ、これね。別に今日残ってまでしなくてもいいのに」
「あっあの……!」
 相変わらず真面目だよなあ、といつも通りにこぼす清水くんに耐え切れず、私は椅子から立ち上がる。
「今日は本当にごめんなさい!    私のミスで、みんなに怪我させちゃうところだったから……みんなのサポートをしなきゃいけないのに、マネージャー失格だよね……」

 清水くんはしばらく無言で腕を組んだのち、厳しい表情で私を見据えて言った。
「しっかりしろよ、マネージャー。これから大事な時期なんだから」
 ぐっ、と私は唇をかみしめる。マネージャーとしてチームを支えなければいけないのに、どうしてチームの足を引っ張っているのだろう。残り数か月に迫った私たちの最後の夏に向け、チーム一丸となって打倒海堂を目指していかねばならない。それなのに結束したチームの雰囲気を乱すだけでは飽き足らず、その部員を怪我させようとするなんて。キャプテンである清水くんも怒って当然だ。
 じわりとにじむ目を決して見られないよう、私は顔を下へ向けた。
 ああもう、みんなをサポートするどころか迷惑かけてばかりなんて。

「なんてね」
 と、さっきとは打って変わった声色で、清水くんは腕を解いて椅子に座った。
「珍しいじゃん、マネージャーがあんなポカすんの。最近疲れ溜まってんじゃねーの?」
「えっ……ううん! 違うの! 単に私がさばけなかっただけで」
 その言葉についていけずおろおろとするばかりの私に清水くんがくすっと笑う。「とりあえず座れよ」とすすめられるままに私は腰を下ろした。
「部員も増えたし、マネージャー一人でこの仕事量はきついよなって服部とも話しててさ。もしきついなら部活休んでもいい」
 俺らとしては痛いけど、そう言う清水くんに冷水をかけられたように体が強張った。絶対に違うということはわかっているけれど、それでもそれは言外に「お前はいらない」と言われたかのようで。私は手を握りしめた。
 そんなの嫌だ。

「私、聖秀が大好きだから、みんなと打倒海堂目指したい。だからこのままマネージャーやらせてください」
 お願いします!と清水くんの方へ私は頭を下げる。これからも迷惑かけるかもしれないけれど、精一杯みんなをサポートする。私は聖秀野球部のみんなと一緒に夢を見たい。

 私のその言葉を聞いてしばらく呆然としていたかと思うと、清水くんは盛大にため息をついた。
「あのさあ、何やるやらないの話になってんだよ。俺はアンタにマネージャーやっててほしいんだけど」
 今更アンタ以外に聖秀を任せられるやつなんていないって。俺らみんなアンタを頼りにしてんだから。

 清水くんの呆れたかのような口調で次々と放たれる言葉に、ずっと冷たかった胸の内が急速に暖かくなっていく。
 こんな私でも、聖秀にいてもいいんだ。マネージャーとして、聖秀の一員として、みんなと一緒に夢を見られるんだ。
 そう言ってもらえるなんて、信じられない。嬉しい、嬉しい。
 ありがとう、清水くん。


「で、どうする? マネージャー募集かけたほうがいいならかけるか?」
 私は我にかえって、ぶんぶんと首を振った。
「いい。大丈夫」
「疲れてんだろ。今回みたいなことにならないとも言い切れないんじゃねーの」
 そのように言われると返す言葉がない。清水くんは口を開いたり閉じたりを繰り返す私をしばらく見つめていたけれど、やがて「まあ」と言葉を紡いだ。
「マネージャーがいいってんならいいか」

 とにかく、と清水くんは机の上に広げられたスコアブックを持ち上げて、私の頭上にポンと置く。
「いつまでもしょげてんなよ、マネージャー!」
 先程とは違う涙が溢れそうになるのをスコアブックで隠して、私は大きく頷いた。
「私、がんばるから!」
「へいへい。無茶だけはするなよ」

 


【おまけ】
「そういえば清水くん、用があってここに来たんだよね? 何かあったの?」
「は? いや、別に(アンタが出てったっきり来なかったからとか言えねえ)」





【あとがき】
 もともとは以前やった「一週間でコンプリート7の指令」の「2.泣き虫の退治法」として書き出したものですが貧乏性で使ってしまいました。
 6th10話を見る限り部員は15人だったので、あれだけアクの強い部員の面倒を一人で見てるのかと思うと…綾音ちゃんほんと大変だろうなあ…
 「キャプテンとしてみんなを引っ張っていけるのか」と悩む大河がいるなら、綾音ちゃんも時としてそういう苦しみを抱くこともあるだろうと思いこのお話が浮かびました。みんなとはちょっと違う特殊な役職に就く二人だからこそ、互いにしかできない想いを抱いたりかけられる言葉があったりしてともに「打倒海堂」を目指しているのだろうと思います。お互いに信じ合える関係を二人には築いてほしいです。