Blue Point

 

 

 

 

 毎年年末恒例の紅白歌合戦も大詰めとなり、残すところあと30分で一年が終わる。

 何だか無性にあいつの顔が見たくなって、気づいたら家を飛び出していた。

 

 

  部屋着の上にカーディガンを羽織っているとはいえ、廊下や階段は身震いをするほど寒い。お風呂でほかほかと温まった身体も、一歩踏み出す毎に熱が奪われてしまう。これ以上冷えてしまわないよう、背中を丸めながら冷えた廊下を進んだ。

 ――今年ももう終わっちゃうんだ。

 瞼を閉じると様々な出来事がまざまざとよみがえる。それと同時に浮かぶのは一緒に過ごした人達。クラスメートや友達、山田先生、聖秀野球部の先輩や後輩、服部くん、そして、清水くん。

 清水くんは今頃何をしているのかな。お風呂かな、テレビでも見ながらご家族とお話しているのかな。なんて、清水くんのことばかり。

 今年最後の部活以来、私達は顔を合わせていない。メールなどの文章でのやり取りや会話は、冬休みが始まってから今日までで2、3回程度。その内容も練習内容や来年以降のスケジュールに関してだ(そう話したら友達達に「冷めてるね」と言われてしまったけれど)。お互い、元々それほどやり取りをする方ではないから、いつもなら特に何も感じることはなかったのだけれど。

 どうしてだろう、会いたいと思うのは。

 

 こうした自分の気持ちに戸惑うのは、今に始まったことではない。

 初めて大ゲンカした日や、初めて一緒に帰った帰り道。素直じゃなくて不器用な彼の優しさや意外な一面。嬉しくて楽しくて、どきどきしたり、はらはらしたり、時には怒ったり泣いたり。清水くんとのやり取りに一喜一憂しながら過ごした日々が一瞬で駆け巡った。

 思い出したら歯止めが利かなくなる。それはとてもくすぐったくて、けれども温かい。そうして気がつくのだ。ああ、私は清水くんのことばかりって。

 

 

 自室の部屋に入り、ベッドに倒れ込んだ。あと少しで年が明ける。そう思うと胸がきゅぅっと締め付けられた。

 不安や心細さを感じることもあった。悔しさや歯がゆさ、苛立ち、「どうして」と悲しみや怒りが押し寄せたこともあった。けれど同じくらい、嬉しくてたまらないこともあった。「このままずっと続けばいいのに」と願わずにはいられないほど心が震える瞬間もあった。つらいことだけじゃない、楽しくて、幸せな出来事もたくさん、たくさんあった。

 

 だからなのかな。今年も色々あったから、終わってしまうのが寂しくなっちゃうのかな。けれどこれだけは分かる。そう感じるのは、私にとってそれほど今年がかけがえのないものになったからなんだろうなって。

 

 そして来年。先輩達が引退した数ヶ月前からすでに最後の夏に向けてカウントダウンが始まっている。プレーするわけじゃない。けれどだからこそ、聖秀野球部のみんなと一緒に夢を駆け抜けるために「マネージャーとして私に出来ることは何だろう」と何度も自問自答する日々がこれまで以上にやってくるのだろう。それに今はまだピンと来ていないけれど、来年は受験生だ。勉強にも本腰を入れなければならない。来年はきっと今年以上にたくさんのこと、経験したこともないこと、起こるのだろう。

 

 違う年がやってくる。大丈夫かな、できるかな。そういう不安や戸惑いもある。けれど今日も明日も、今年も来年も地続きであることは間違いないから。「寂しさ」を感じるほどこれからの日々を「かけがえのないもの」にしたいから。

 そしてそれを、友達や聖秀野球部のみんなと、――清水くんと、一緒に感じることができたならどんなにいいだろう。

 

 

 脳裏にぱっと浮かんだ、照れを隠したように少しだけ眉間に皺を寄せながらもはにかんだように緩ませた表情。それに突き動かされるようにして、携帯電話のメールボックスを開いた。

 日付が変わったら、年が明けたら連絡してみよう。ご家族と一緒だろうから、電話は控えた方がいいかもしれないけれど、メールなら大丈夫だろう。「普段やり取りをしてない」私達だから、もしかしたら変に思われるかもしれないけれど、それでもいい。わき上がったこの想いを少しでも伝えることができるなら。

 机の上に置かれた目覚まし時計に目をやると、短針と長針が「12」を指し、秒針が「1」を通過しようとしていた。ちょうど日付が変わり、年が明けたのだ。

 

 さぁ、今年の始まりだ。「よし」と気合いを入れながら上体を起こす。メールを読んでどう思うかな。びっくりするだろうな。でも、同じように思ってくれたら、いいな。

 想いを紡ぐため、「さ」行から宛先を選んだその瞬間、手の内にある携帯電話が振動を始めた。

 

 

 一月一日、0時0分に流れ出した軽快なリズムの着信メロディは、驚きと温かさをもたらすには十分だった。この音楽で登録しているのは一人だけ。震える指先で携帯電話に触れる。そして、

「……も、もしもし」

『あ、マネージャー?』

 年を越して初めて耳にする、清水くんの声。いつもと変わらない飄々とした、けれどどこか安心する声。

『マネージャー? おーい』

「へっ!? あっはい!!」

 ぷっ、と吹き出すような控えめな破裂音が耳に届く。突然の電話に処理が追いつかないまま裏返ってしまった声を聞き逃してくれるはずもなく、くすっと笑った声が続けてスピーカー越しに聞こえてきた。

『ぷっ! すごい声』

「だって! びっくりしたんだもん」

 まだどきどきと跳ねて収まらない胸元に手を当てながら軽く深呼吸をする。出鼻を挫かれてしまったけれど、これだけは欠かせない。

「清水くん、」

『ん?』

「あけまして、おめでとうございます」

『うん』

「今年もよろしくね」

『こっちこそ』

 照れくささから少しだけ他人行儀な感じで挨拶を交わす。それだけでもなんとなく面白くて、どちらからともなく笑い出した。こんなちょっとしたやり取りでも楽しくなってしまうのだから不思議だ。新年早々、清水くんの声に耳を傾けながら頬を緩ませた。

 

「清水くん、外にいるの?」

『まーね。外すげー寒ぃ』

 ブォォォ……と時折清水くんの声をかき消す程の車のエンジン音が聞こえ、首を傾げた。珍しい。清水くんのことだからきっとお家でテレビでも見ながら暖かく過ごしていそうなのに。

「どうして外に……あっ! コンビニにお買い物? それとも年賀状出しに行ってるとか?」

『なんでこんな真夜中になって年賀状出しに行かなきゃなんねーんだよ。それに生憎、俺にはそういう相手もいなければ義理も持ち合わせちゃいないんで』

 年賀状とか面倒くせーじゃん、といけしゃあしゃあと言い放つ清水くんに、私は音なく笑みをこぼした。確かに、同年代の友達相手なら新年の挨拶もメール一つで十分かもしれない。私も先生や目上の方、お世話になっている方や連絡先を知らない友達には出したけれど、それ以外はメールで挨拶をするつもりだった。

 とはいえ、「面倒くさい」という歯に衣着せぬ物言いがあまりにも清水くんらしい。それでもなんだかんだと言いながらこうして連絡をくれたことに、胸がいっぱいになった。普段メールもろくにしない、するとしても事務的なものばかりなのに。そんな清水くんから連絡がきた。しかもメールではなく電話、年が明けたと同時に、だ。あの清水くんが。

 

 もしかしたら清水くんも私と同じようなこと、考えてたりするのかな。

 ただ思い上がってるだけかもしれない。自意識過剰だと言われても仕方がないだろう。違ったら恥ずかしすぎる。「何言ってんの」、そう言われたらと思うと、怖い。だから尋ねることはできないけれど、そうだったら嬉しいな。

『何笑ってんだよ』

 声も漏らしていなかったのに、清水くんにはお見通しだったらしい。すごいな、どうして分かったんだろう。そう聞けば「バレバレだし」なんて返ってくるんだろうな。

 内心慌てつつ「なんでもないよ」と素知らぬ顔で言えば、「ふーん」と笑いを含ませながら「ならいいけど」と返された。追求がなかったことに胸を撫で下ろしながら、聞えないように小さく小さく息を吐く。

 この気持ち、伝えるには勇気が足りない。聞くこともできないけれど、そう思うくらいはいいよね。

 

『マネージャー、今部屋?』

「うん」

『じゃあ、窓から外見てみて』

「? うん」

 

 何かイベントでもあってるのかな。首を傾げつつベッドから身体を起こし、容赦なく熱を吸い取るステンレス製の窓枠に手を掛ける。ぴゅぅっと吹き込む凍てつく風に思わず顔をしかめながら窓を開けると、どこか遠くから除夜の鐘の音が聞えてきた。

 夜も深いこの時間、いつもなら街灯がぽつぽつ照らしているだけだけど、年末年始ということもあってか街灯に加えて住宅街の明かりが灯っていた。

『そんで、ちょっと下向いて』

「どうしたの? 何かあってるの?」

『いいから』

「なんか……いつもみたいになんかだましてるとかじゃないよね」

『いつもみたいってどういうことだよ』

 また何かのいたずらかな……日頃から何かにつけて茶化されているだけに、疑い深くなってしまうのは別に私のせいではないと思う。

 言われるがまま街灯や建物の明かりから道端へと視線を移せば、初詣に行くのだろうか、着物を着た何人かの人が連れ立って大通りへと進んでいく。さっきまでお酒を飲んでいたのか、陽気な声で歌を歌いながら覚束ない足取りで夜の闇に消えていく。思い思いの年末年始を過ごすため、いろいろな人が夜道を行き交う。

 そんな中、玄関から少し離れた電柱に自転車を寄せる、見慣れた後ろ姿。街灯にぽつんと浮かび上がる栗色の髪の毛。

『どーも』

 片手をポケットに入れ、もう片方の手で携帯電話を持ちながらこちらを見上げるその表情は、さっき脳裏に浮かんだものと同じで。

「え……」

『やっと気づいた?』

 少しおどけた声がスピーカー響いた気がしたけれど、その時にはもう部屋を飛び出していた。「出かけるのー?」という家族の問いかけにも適当に返事しながら、どたどたと玄関の扉を開ける。

 「怖い」とか「勇気がない」とか言ってられない。伝えたい、伝えなくちゃ。はやく、はやく。

 

寒かっただろうに。清水くんのお家からここまで、結構距離があるはずなのに。けれど何よりも。

あなたに会えて嬉しい、来てくれてありがとう。これからもよろしくね。