餞
渋谷君を筆頭に卒業生を胴上げする様を、私は一人離れて眺めていた。肉体的にも精神的にも未熟であと気なかった彼らが、今やもう見る影もないほどたくましく成長したことをひしひしと感じて自然と顔がほころぶ。
これから君達はどのような道を歩んでいくんでしょうね。どのような壁にぶち当たり、その度にどのような想いを抱きながら乗り越えていくのでしょうね。自分自身が選び突き進むその過程の中で、ひとに支えられ、逆にひとを支えながら日々を重ねていくのでしょうね。
先人は巣立ちゆく若者に対して「Boys, be ambitious.」という言葉を贈っているが、同様に巣立つ彼らに対して私が贈るものは何が相応しいのだろうか。
私が彼らに行ったことはただ静かに彼らの行く末を見守ることだ。時には突き放し、時には彼ら自身で気づくことができるように助言をすること。教師として、若き彼らを導くこと。
しかし彼らにはもはや必要ない。この聖秀での日々によって、彼らは大きく成長することができたのだから。「気苦労」も「お節介」も無用だ。そのようなものがなくとも、彼らは彼ら自身の力で立ち向かうことができる。
「せめてもの餞に」と私ができることは、これまでのように見守ることでも指し示すことでもない。彼ら自身が選択し、歩む茨道を抜けたその果てで、彼らの描く「夢」をつかみ取ることができるだろうと「信じる」ことだ。苦悩することもあるだろう。絶望し、膝から崩れ落ちてしまうこともあるだろう。もう二度と前へは進めないと、諦めてしまうこともあるだろう。
しかし、そのような時にこそ歩んだ道を振り返ってみてほしい。
君達が重ねた日々は、夢見てともに駆け抜けた日々はいつか必ず生きる上での原動力となる。
「山田先生」
いつの間にか、かつてマネージャーであった少女が隣で佇み笑いかけていた。
「なにこんな隅っこにいるんですか。行きますよ」
かつてキャプテンであった少年が、駆け寄ってきたかと思うとぐいっと私の腕を引っ張った。
かつて二人とともに聖秀野球部を支え引っ張る部員であった少年が、カメラを片手に「遅いっすよ先生。記念写真、撮るんですから早く早く」と声をかけた。三人の眩しさに、思わず目がくらむ。
ああしかし、たまにはここへ立ち寄ってみてくださいね。君達の想いを受け継ぐ可愛い後輩も、汗と泥と夢にまみれるこのグラウンドも、そしておこがましいですが私もいますから。
腕を引かれながら、私はうら若き青年達の下へと足を踏み出した。
願わくば、これからの道が旅立つ若者達にとって幸多からんことを。
遠い異国の地へ一人旅立ち、今も尚立ち止まることを知らぬ彼の姿が脳裏に浮かび、好戦的に笑った。