通り雨
部室から正面玄関までという短い距離も、このどしゃ降り模様の中を歩くとなれば果てしなく遠い。たった数歩で雨水が染み込んだスニーカーにげんなりしていると、隣のマネージャーが申し訳なさそうに首をすくませた。
クラスメイトや部員の奴らに見られたら面倒くさいことになりそうだ。そう思い過ごそうとするのに、時折ぶつかる肩が妙に熱を持つせいで思考が霧散する。
部活中、無意識のうちに頭を寄せ合って話し込んでしまうことは多々ある。部員達の揶揄う声で我に返ることもしばしばで、けれどもその度に「バカなことを言ってないで集中しろ」と一蹴してきた。正直、部活の話になると距離感なんてものは頭の中から完全に抜け落ちる。多分それは、部活での互いの立場ややるべきことに没頭しているからだ。そのスタンスを変えるつもりはないし、どうやらこいつもそれは同じらしい。部員達から何度かああいった声を受けてもさらりと流し、また同様の距離感で部活の話を進めていた。
確かに部員達の言葉通り、その距離は近いとは思わなくもない。けれども、互いに惚れた腫れたを意識することなく、『打倒海堂』を掲げて同じ目標に突き進む。この距離感や関係は、言わばビジネスパートナーに近いのかもしれない。
それが少なくとも俺は、嫌いではなかった。
だというのに、今まさに味わっているこの気まずさはなんなのだろう。全く、いつもの気軽さはどこに行ってしまったのか。
ぽつぽつと紡がれる言葉を拾い、こいつへ返す。会話のキャッチボールは変わらず行われているけれど、勢いは通常のそれとは桁違いだ。
傘に跳ね返る無数の雨粒を通り越して届く声は普段の快活なそれとはまた違い、かといってこの状況に戸惑っているというだけでは説明がつかないような響きを内包していた。
行き場なく、視線をうろうろとさ迷わせているこいつも同様で、特に代わり映えのしない校庭と地面を行ったり来たりさせながら眺めている。普段こいつとこんな雰囲気になることがまずなかったから、この状況をどうすればいいのか分からないのかもしれない。
部活のことを話せばいい。頭ではそう理解しているものの、いざとなると喉がひりついたように声が出ない。
俺達、いつもどんな風に話してたっけ。
「清水くん、」
「え?」
「ありがとう」
「ああ、うん」
いつの間にか目的地へ足を踏み入れていたらしい。傘から伝わる雨粒の振動や雨音が消えた代わりに、マネージャーの声が傘の外側から耳へ鮮明に届く。
傘を閉じ雨粒を落とす横で「ありがとう」ともう一度発したこいつは、声の響きも浮かべる表情もすっかりいつものマネージャーだ。
距離にしたら約100m、時間にしたら1分弱という短さ。そうは思えない程、今しがた二人を包んでいたあの雰囲気は非常に異質で、濃厚なものだった。
白昼夢でも見ていたんじゃないか。そう錯覚してしまいそうになるほど、お互いに発していた雰囲気は跡形もなくきれいさっぱり無くなっていた。
「ったく、ドジだよな。外見りゃ分かるのに置き忘れるとか」
「だ、だって、急いでたんだもん」
早く部室に行きたくて。唇を尖らせながら気恥ずかしそうに紡がれる言葉が俺のよく知るマネージャーそのもので、静かに瞼を閉じた。
本当に、夢だったのかもしれない。触れ合っていた肩はいまだに熱を持っている。それが夢ではないことへの何よりの証拠だったけれど、俺は気づかないふりをした。