つないでつむいで



「どうなんです? その後。挨拶に行ったんでしょ?」
「いい感じの雰囲気だったよ。母も妹も気に入ってたみたいだし」
「へえ~そうなんすか? でも気づかないところで絶対やらかしてますよ」
 あいつそそっかしいところあるからなあ……と、清水君は頬杖をついてにやりとした。先程「お手洗いに行ってきますね」と席を立った彼女がこの場にいたら、間違いなく二人の言い合いが繰り広げられるだろう。知らず知らずのうちに、僕は膝の上で拳を作っていた。

 清水君との一件の後、それぞれ対応に追われながら互いの両親へと挨拶を済ませた僕と綾音ちゃんは、先日正式に入籍した。それまではメディアへの対応や球団への説明とお詫びなどで追われており、正直なところ僕達はかなり疲弊していた。
 球団へのお詫びを終えた後にお邪魔した茂野家で「何だか君や眉村の時よりも大事になってない?」と半ば恨めしく思いながら吾郎君に話すと、「そりゃあオメー、天下の佐藤寿也に女の影がちらついたら食いつくに決まってんだろ」と一蹴されてしまった。
 こんなことがこれからも続いていくのだろうと思うと頭が痛いが、これから二人で生きていく上では幸せな悩みなのだろう。




「……佐藤さん」
「ん?」
「俺が言うのもなんですけど、鈴木のことよろしくお願いします」
「清水君……」
 僕が目を見開いていると、彼は苦笑しながら彼女の座っていた席を見やった。
「あいつとはホント色々あって、正直あいつが佐藤さんを好きなのに聖秀でマネージャーなんかすんじゃねーよって、聖秀にいながら実は海堂応援してるんだろ、さっさと辞めちまえって思ったこともあります」
 目を伏せてグラスのストローで氷をくるくるとかき混ぜながら、彼は「でも」と続ける。
「でもあいつ、聖秀のこと大好きなんですよ、すっげー熱いやつで」

「あいつがいたから聖秀のやつらだけじゃなくて俺もやってこれたんだと思ってるんです。俺も甘ちゃんだったし、キャプテンなんてガラじゃないしで『こんなこと辞めてやる』って思ったりもしたんですよ。続けてこれた理由はもちろん、このまま途中で放り投げる訳にはいかねえとか、茂野先輩達の聖秀を俺が引き継いで今度こそ海堂をぶっ潰してやるっていう思いがあったからというのもあるんすけど。でも、最後に思いとどまらせてくれたのって、やっぱ鈴木の存在もあるんですよね。マネージャーとしての仕事ぶりにも、あいつの言葉にも俺、何度も助けられて。面と向かってなんてぜってえ言えないんですけど、あいつが、支えだったんです」
 これほどまで饒舌に聖秀のことを、彼女とのことを大切に想っていると話す清水君が意外で、相槌をうつことすらもままならない。清水君はそんな僕に気づいているのかいないのか、彼女の席を見つめながら言葉を紡ぎ続ける。

「あいつとあの三年間、打倒海堂目指して一緒に夢を見れて、追いかけることができて。あいつが聖秀野球部に居てくれて本当によかったって思うんです。あの三年間、あいつが女房役でよかったって。あいつだから、俺も聖秀も背中を預けられたんです」
 
 だから、あいつをあんまり泣かさないでくださいよ。
 そう話す彼の目は真っ直ぐで強くて、すぐには返事ができなかった。繋がれる言葉の重さに、託された想いや望みに、僕はどう応えればいいのだろう。そしてこんなにも彼女との日々を大切に語る彼を、彼女はどう思うのだろう。
「うん。もちろん」
 絞り出すようにしてなんとか告げると、「ま、言うて何の心配もしてないんすけどね」とまるで空気が抜けた風船のようにふにゃっと笑った。

 
「二人は本当に素敵な時を聖秀で過ごしたんだね」
 ね、綾音ちゃん。
 僕は観葉植物の後ろに隠れるようにして顔を覆う彼女に笑いながら声をかけた。

「マネージャー……」
 なんだよ、聞いてたのかよ。盗み聞きとは行儀悪ィな。聞かれていた恥ずかしさからか清水君は顔を赤らめてつっけんどんな態度で呟いた。しかし、ハンカチを鼻や口元に押し当ててポロポロと涙を流す綾音ちゃんに「はあ~~」と盛大にため息をつくと、清水君は椅子から立ち上がり彼女の背中をさすって席へと誘導した。
「なーに泣いてんだか」
「だって……清水くんがそんな風に思ってくれてるなんて私、知らなくて……うう……」
「何、そう思ってちゃ悪いかよ」
「そんなこと言ってないじゃない。でもとっても嬉しかったの」
「へいへい、分かってるっつーの。にしてもマネージャーってほんと泣き虫だよな。泣きすぎて化粧落ちてんぞ。せっかくトイレ行ったのに不ッ細工な顔 」
「清水くんのせいでしょ! もう」
 お互いに憎まれ口を叩きつつ、それでも笑い合う二人。そこで清水君は思い出したかのように「あっ」と声を出し、僕を見て軽く頭を下げた。
「佐藤さんすんません。俺が早速泣かしちまった」


「それにしても、君達って本当に仲がいいよね。僕、軽く妬いちゃったよ」
 清水君と別れた帰り道、僕はたまらずぽつりとつぶやいた。入籍した今でも、清水君と君との間には割って入ることはできないのだということをまざまざと見せつけられたようで、胸の内がじりじりと焼かれる。
 僕の言葉を聞いてふふっと口に手を当て笑みをこぼす彼女は、前方に視線を移して話し始めた。
「清水くんも言ってましたけど、本当に色々あったんです。ケンカだって数えきれないほどしましたし、もう顔も見たくないって思ったことだってありますもん。でも一緒に過ごすうちに、彼は彼なりに茂野先輩の代から続く聖秀野球部をよくしようってするのが分かって。部員達もそんな清水くんだからこそ、ついていったんだろうと思います。私もそんな清水くんだから信じることができたし、キャプテンとして懸命に部員を引っ張って打倒海堂目指して誰よりも努力する清水くんに何度も元気づけられていたんです。先輩にとって聖秀野球部は茂野先輩のイメージが強いんでしょうけれど、私はそれと同時に『清水くん』と一緒に築いた大切な居場所でもあるんです。それくらい清水くんは私にとっても本当にかけがえのない人ですし、こればかりはいくら先輩でも譲れません」
 前方を見つめながら、目を輝かせて聖秀での日々や彼への想いを語る彼女がまぶしくて、思わず目を逸らしそうになる。だけど、と彼女は再び僕の方へと顔を向け、顔を近づけて耳打ちした。
「私が男の人として好きなのは貴方だけなんですよ、先輩」
 まさかそうくるとは予想もしておらず、僕は耳打ちのためにかがんだ姿勢のまま固まってしまった。顔が火照っていくのが自分でも分かる。そんな僕の様子に、彼女は「あははっ」と声を上げて笑いだした。
「先輩がこんなにやきもち焼いてくれるなんて、中学生の頃の私には想像もできなかっただろうなあ」
 ――全く、敵わないな。
 ため息をついて姿勢を戻した後、苦笑しながら手を握ると、彼女はいたずらが成功した子どものようにしたり顔になって握り返した。
 
『鈴木のことよろしくお願いします』
『あんまりあいつを泣かさないでくださいよ』
 君に言われなくてもそのつもりだけど、あんな風に任されたからには守らないわけにはいかない。あれほどまでに大切に想われている彼女を。芯が強く、こんな僕をずっと見続けて手を取ってくれた彼女を。君とはちょっと違うやり方だけど、僕は僕なりの方法で彼女を大切にしていくよ。




【あとがきという名の補足のようなもの】

 つまりキャプテンの大河くんとマネージャーの綾音ちゃんの関係ってこういうことだと思うんですよね。想いの質は違うけれど、大河くんも綾音ちゃんも互いに大切に想っているよ、という。ひょっとしたらこの二人は聖秀時代にそれぞれキャプマネの関係や友人・仲間としての関係以外の感情を相手に抱いていたこともあるのかもしれないし、大河くんは入籍した今でもその感情を密かに抱いているのかもしれない。その辺りはご想像にお任せしますが。それでも二人は聖秀で築いた「キャプテンとマネージャー」の関係を卒業後も続けていくという選択をして、現在に至っている。そんな二人も本当に尊いなあと思います。二人が話す、聖秀時代の「色々あった」というその内容をもっともっと掘り下げていけたらいいなあ……

 綾音ちゃんは公式をご覧の通り特に中学生の時は寿くんへの想いをストレートに表現していますが、大人になったら気持ちはあっても幼い頃のように一直線に向かうことはしなくなるのだろうなと思っています。プロ野球選手として活躍する彼の邪魔にならないように、自分の言動や想いにワンクッション置く、という落ち着いた大人になろうとするしそれが彼女の成長でもあるのかな、と。逆に寿くんは昔あれほど自分に対してガンガンと向かってきた彼女が今は一歩引くようになったこと少なからず寂しいと感じていて、「もしかしたら彼女はそこまで僕のことを好きではないのかもしれない」「自分だけが彼女を好きなのかもしれない」と不安になるのかなと。だからこそ、自分の知らないところで3年間築いた確かな関係があり今もなお絆のある二人や、彼女とそんな関係を築いている大河くんが羨ましくもあり、恨めしくもあったりするのかなと。自分は中高と彼女の想いを疎かにしていた、という罪悪感のようなものもひょっとしたらあるのかもしれません(寿くんは中学生の時点で自分に対する綾音ちゃんの想いは何となく理解しているけれど、野球に関する将来の展望や『置いて行かれた』という家庭でのトラウマもあって、特定の誰かを想うことができないしそもそも当時の彼自身には恋愛に身や心を削るほどの余裕がないので明確な反応はしていない。とか)。
 彼が彼女の想いを受け入れ、尚且つ彼女への想いを育てることができるのは美穂ちゃんを初めとした家族との離別によるトラウマを克服してからだと思っていますし、その頃には彼女は自分のことを選んでくれなくてもいい、応援しているだけでいいと半ば諦めていると思うので、うちの寿綾は寿くんが彼女を追いかける形になります。苦手な方は本当に申し訳ないです。